18禁動画の構成要素は「物語」と同じ
小説、映画、ドラマ・・・この世にはありとあらゆる「物語」が存在するが、その基本的な構成要素は18禁動画のそれに集約されるのではないだろうか。
シナリオスクールや小説家の養成講座で真っ先に学ぶことは、物語はどれも三幕構成であるということ。つまり発端があり、中盤があり、終盤があるということである。
「桃太郎」で例えるなら、桃太郎が爺婆のもとで成長し、鬼が島へ出かけ、金銀財宝を獲得して帰ってくるというように。18禁動画においても、前戯があり、挿入してオルガスムに向かい、射精後の倦怠がある。
また、物語は基本的に何かを不足している者を追い求める行為でもある。例えば「竹取物語」ならば、その竹から生まれた美しい娘を各国の若殿達が自分の姫としようと奮闘する物語である。同様に18禁動画においても、エロスを必死に追い求める行為でもある。
そして、物語には主人公を助ける助言者や救護者が必ず登場する。「猿蟹合戦」ならば悪猿を退治するという蟹の動機に対して、栗、臼、蜂といった仲間たちが加勢する。
同様に、18禁動画においても、エロスを獲得するという女優の動機に対して、男優や汁男優といった人たちが登場する。
物語からこうした3幕構成や動機、または救護者といった要素が抜け落ちると、その物語は恐ろしく退屈に感じるように、18禁動画でも例えば動機なく長々と制服を着た女の子を映すだけ、という18禁動画は退屈で抜けない。
18禁動画の構成要素が物語のそれに同じとするならば、抜ける18禁動画とはやはり「物語的」なのである。
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2011年8月25日 | コメントは受け付けていません。 |
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